2010年09月27日

新月

涼:(己の中を通過する『神の手』の力。
    それに対して、闇帝を拘束する己の生み出した「鏡」のなんと小さく、   頼りないことか。

   イサクが体を取り戻すまでもってくれるかどうかも、心もとない。

   焦りと悔しさが闇帝にも伝わっているようだ。
  あざ笑うかのように、わざわざと徐々に顔を近づけ、
   彼女の目を覗き込んでくるその顔は、やはり、どうみても、
  「イサク」ではない。

   怒りよりも、不意に深い悲しみが、胸の中を圧した。

  救えないのか。

   救う理由も、救わねばならぬ義務も思い当たらぬのだが、それでも、
  ただ、再びあの小憎らしくも馬鹿馬鹿しい軽口を聞けぬのかと思うと、
  声をあげて泣き出したいような衝動にさえ駆られた。

   奥歯を噛み締めて、正面から、イサクの姿をした闇帝を睨む。
  己の体から出たこの相手と対峙するのは、まさに、14年ぶりだ。
   幼い頃はただ恐ろしかっただけであったが、今は違う。
  己でも意外なほどに。
   憎いと感じている。

   異様に熱い、イサクの左手を、自分の右手で握りながら。
  イサクの頬を自らの左手で覆うと、闇帝であるその瞳に、
   自ら瞳を近づけた。)


憂いの蔡



   イサク。
  お主は、また、私をたばかるのか?

   まこと、嘘しかつけぬ男よの。
  私を笑わせるのではなかったのかや?
   お主は………

  (言いながら、その場で、目を剥いた。

    闇帝の右手が動き、涼の首に触れる。
   そのまま、その唇が、彼女の唇を深くふさいだ………!)



イサク:(舌で果実を転がして遊ぶような、長いくちづけ。

    胸が飢えていたその感触に騒ぎ、いちいち体が熱くなる。
     最初は呆然としていた涼に、やがて強く押し返され、
    しぶしぶ、体を少し離した。

     それでも額が触れるような位置で。
    事態がまだ飲み込めず、目を見開いている涼の瞳に、
     ほのかに、微笑みを投げ込む)

    ……しまった。
   もう少し我慢していれば、あなたの口から、恋懺悔が聞けたのに。


涼:(……イサクである!

    このような野卑た口を、あの闇帝がきくとは思えぬ。

   イサクである。間違いない。
    だが、どうしてこの男を取り戻せたのか、その理由がわからぬ。

   己にその手ごたえはまったくなかったのに、
    どうして、あの闇帝を退けることができたのだ?

    あまりに愕然と、
   疑問符に脳天を殴られたような顔を彼女がしていたせいだろう、
    イサクがとうとう、おかしそうに笑いだしたが、
   それでも納得ができず、何度も前髪を揺らし、彼を見直した)


イサク:
    あなたは……

   (まだ、気づいていないのだ。己の体の変化に。

     そう、言いかけて、ふと、口をつぐんだ。
    それを言ってしまえば、二度と、涼は戻らぬ。

     求めていた力が、いつのまにか自分の体に宿っている……
    いや、それは求めていた以上のものかもしれない。
     その証拠に、あの「鏡」が生じた時点で、闇帝はほぼ、
    悲鳴をあげて彼の奥へと退散していたのだ。

     あんなに小さな「鏡」であったのに、
    体の裏まで照らし出されるような心地がした。

     ……そこまで考えて、目を伏せた。
    闇帝は引き下がり際、余計なものまで、彼に見せた。

     それは、彼が涼に告げずにはいられぬとわかっての
    おそらくは嫌がらせだ。

     しばしのち、瞼を再びあげると、涼の肩を両手でつかみ、
    黙って彼女を立ち上がらせた。
     そして、自分も立ち上がると、涼をそのまま閣下の方へ向き合わせ、差し出した……!)


    
   




     ……東の辺境にしては面白い余興だったが……

    どうにも、私の悪い癖が、もう出てしまったようだ。

     残念だが、なにもかも、すっかり面倒になってきてしまったよ。

    良い迎えも来ていることだ。

     このままあなたの居るべき場所へ、
    お帰りになられれば良かろう……!

   (言いながら、真正面に閣下を見つめた)
     
 

閣下:
(暫く無言でイサクを見詰めていたが、
 不意に目を伏せ、息を吐くように笑った。)

 余興、とな。
 お前達はもう少し素直にものを言う事を覚えるがいいよ。








(言いながら、涼さんを片手に抱き寄せた。
 安否を確かめるように両手で頬を包んで、
 まだ戸惑いと驚きの抜けない顔を覗き込む。
 目が合うと微笑んだ。
 するりと肩から腕へ手を滑らせ、傷も汚れも無かったように、その身なりを調える。
 髪を撫でると、機嫌良さげに離れた)

 ……このまま去っては、
 何か施しを受けたようでいかんな。

(ゆったり歩き、視線を遣ってヨハネを立ち上がらせる。
 同じ様に立たせた鳴蛇と右手を繋がせ、くしゃりと頭を撫でると、踵を返した。
 薄く目を開いた二人を背に、帰りざまに少女の頬に触れる)

 手のかかる子らだ。
 私が手を出せぬ程にな。

(涼しい顔で冗談めかして呟き、
 再度涼さんを抱き取った。)

 さぁ、役者は整った。
 兄を救いに行くぞ?

(二人をゆっくりと白い霧が包み始める。
 活発だった筈の『深奥』は、夜明け前の深山のように静かに、
 ただ白い闇として皆を取り巻くだけになっている………!)






蔡:(なんの声もあげさせてもらえなかった。

    ただ、涼が消えた場所を見つめるしかない。
   ………終わったのだという気がしない。

    心残りが、胸の奥にこびりついて離れない。
   ゆっくりと瞼を半ば伏せ、己の内側を見るように、視線をさまよわせる。

    ………ふと、イサクの気配が気になって、顔を上げ、
   目を見開いた)





蔡:(笑っている……!

    ………その表情を見て、毒気を抜かれた。

   腕を腰にあて、ようやく、言葉が出た)







  ………マダムにはなんて申し開きをするつもり?

   きっと、お怒りになるよ………言っとくけど、僕は口ぞえしないからね!







イサク:(微笑んだ。古い友人の声が、今は耳に心地よい。)


   ありていに、逃げられたと言うがよいだろうさ。

    実際、嘘はついていない。

   なにより、あの方は、私が戻れば満足だ。
    それ以外のことは忘れていただこう。



蔡:(一瞬、呆れたような顔をしたが。

    そのまま、片頬笑んだ。
   白い霧の中を、ヨハネに向かって大きく手を振り、
    まだ、ぼうっとした様子のその体に飛びつく)

    ………ヨハネ!
   起きなよッ。

    ほら、お前が船に食われてる間に、ぜんぶ片付いちゃったよ!







イサク:(その微笑が、静かに、物思いにかわる。

    何かを、すがしみるように。

     しかし、それも、蔡にのしかかれたヨハネの悲鳴を聞くと、
    現実の苦笑に変わった。

     まだ、長いままの髪を揺らし、弟と友人たちの横を通り、
    かすかな潮風の香りがする霧の晴れる方へと歩き出す……)









蔡:(まるで何事もなかったように脇を通り過ぎてゆく友人に、叫んだ)


    イサク!
   僕は日本へ行くよ。

    それも、近いうちに。
   でも、お前には教えない!
    絶対、黙って一人で行くからね!



イサク:(振り向かず、肩をわずかにひきあげた。
    ……笑った。)



    もう、私に、言ってしまっているではないか。




蔡;(ぐッという顔をして、イサクの背中を見る。

    が、その仕返しをヨハネでするように、彼の肩にぶら下がって、
   そのまま、とんでもなく無邪気に、笑った。

    アークはボロボロだ。機械魔たちのことも気になる。
   それだけ考えても、仕事は、山のようにある。
    だが………そのすべてが終わったら)









  (彼らを包む霧は、もはや、ほとんど、消えている。

    その後の彼らの足取りを知るものはいない………!)

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2010年09月19日

目覚めよと我を呼ぶ声あり(3)

イサク堕ちる



閣下:
(力を無くしたイサクの指が、頬を滑り落ちるのを見届け、
 やわらかく微笑んだ。
 断末の告白を賞賛するように。
 そして顔を上げ、黒髪に半ば隠れた耳元へ、そっと囁く。)

 涼。涼。
 お前は恋われる女だな。
 皆、同じ様に無垢なお前を望む。
 私はもう、このままお前を連れて去ってしまいたくなる。

(本気とも冗談ともつかない様で笑う。

 そして、脱力したように俯いて立った青年の姿をしたものと、
 その向こうで立ち尽くす蔡を見ながら。
 ゆっくりと、掌で、開いたままの瞼を閉じる。
 首を辿って晒させた胸元の、呪印へ白い指が触れた。)





 さぁ、涼。
 このまま船に喰わせるか?
 私が黄泉へ連れようか?
 お前ならば、この男共を如何する。



「愚か者」涼


涼:(閣下の指先がその喉に触れた瞬間。


   何も見ていなかった瞳に。
    何も聞いておらぬようだった耳に。

   息をすることも忘れているようだった……唇に。

    不意に、「命」が戻った。

   長い呪縛から突然解き放たれた姿は、まるで、
    色彩が戻ったかのようだ。

   しかし、その黒い瞳は、ただ切ない光を灯して、
    宙を仰いでいる。

    長く声を発さずにいたのどから、しばし、痛々しげな音を
   か細くもらしていたが。

    ややあって、小さく言って、笑んだ……!)


   ………阿呆であるのが、人の役目であるのでしょうかなぁ。

    どうにも、やはり、私も愚かさを捨て切れぬようでございまする。


「愚か者」涼



   (閣下が腕から、己の力で滑り落ちるように、地へ倒れた。

     そして、その場からのたくるように身をもたげると、
    腕を伸ばし、その場に抜け殻のように立つイサクの手に触れる。

    一瞬、激しい火花のようなものが散り、涼の手を拒んだが、
     構わず、己の体の重みでその体に膝をつかせる。

    ………もはや反応をせぬ、イサクの顔に触れる。
     激しい火花がまたも散り、涼の腕に無数の傷跡が血を溢れさせる。

    が……かまわずにその左の瞳を両の手で覆おうとする。

     イサクの顔を覗き込みながら。
    唇を噛み締め、目をすがめ。その腕を伝う血が、イサクの頬も、
     彼女の体も、赤く染めるのもかまわず。

     ただ、祈るように。
    イサクの目から、彼の体を内側よりひっくり
     かえし、奪い取ろうと伸びる力を、
    己の手で押し返そうとする……!)



閣下:
(赤く染まりゆく場の傍らに立ち、
 空を見る眼を見下ろしている。
 この二人の有様に、友が駆け付けないのは、
 あの少女が服の端を握って離さないせいと知りながら、喚きを耳にも入れない。




 爪先さえ赤に染めず、
 黒衣は青年の姿をしたものを看取るように動かない。)

 ……何か、言葉はあるか。

(怨嗟の呻きさえ許さない視線のまま、問いかける)


蔡後悔



蔡:(閣下にお言葉をかけられて、はじめてそこで正気に戻った。

  そして、目の前の親友と女の姿に、大きく顔をゆがめ、片手で額を押さえる。

  言葉にならぬ痛みと苦恨を、その手で押しつぶそうとでもいうように。
 溢れそうになる涙を、こらえようとするかのように。



   己の横恋慕が、この場面を導いたのか?
  もしくは、己の頭脳への盲信が?
   これこそが、涼が再三彼を嘲り、非難じみた忠告を繰り返していた、その結末なのか。

   もしそうだとするなら、一体、何を礎にこの場に立てば良いのかも、
  もはや、わからない。
   何がどう誤っており、そして何を修正すれば良かったのか。

  今の己を信じ、その信じるものを階段のように一つ一つ積み上げて、
   この場所まで来たのだ。

  己がこのような後悔を感じることなど、一度たりとも考えたことはなかった。このような時が来ることなど、考えもしなかった。
  はじめて……己を疑った。
   自分は、自分が思うような特別な存在ではないのではないかと。
  愚かしい、どこにでもいる、ただの「人間」でしかないのではないかと……!

  唇をひきむすぶと、己の首から何かを外した。

 そして、自分の服の裾を強くつかんで離さぬ表に出たことのない幼子のような、
  黒猿であったものの冷たい手を、ただ黙って、強く、強く、握った……!)


蔡泣く


涼:(イサクの体を取り込もうとする闇帝の力を押し返せぬ…!ともすれば、己まで、黒く暗い渦に巻き取られそうだ。

あまりにも、間が悪すぎる。そう、あまりにも…!何故、自分がこうまで必死になってイサクを救いたいと思っているかもわからず、だが、悔し涙が滲みかける。
しかし…


ふと。

何を感じたように、顔をあげ、蔡の方を見て、目を見開いた。

いや。蔡を見ているのではない。
では、黒猿であったものか?

いや、それも違う。

 蔡は気づいていない。
いや。見えていないのか?

 その傍らに、浅黒い肌の少年がいる。
その気配は、どこか、兄に似ている。


 涼の視線に、微笑んだようにさえみえる少年は、蔡の耳元に、
何事かを呟いた………!)


いずみ復活


蔡:(ハッとしたように顔をあげる。

 己のとなりにいる少年など、そこに居ることもわかっていない様子だ。
  自分が何かを教えられたことにも気づいていないようだ。

 そして、教えられたことと引き換えに無意識のように、その手にしていた
ものを、少年に渡した。
 それを受け取って、少年が鮮やかに微笑み、そして……その背から、
大きな茶色の翼を広げて消えた事も、見ていない。

  涼へ向けて、叫んだ!)


   おまえ……おまえ、その身に呑んだ、「鏡」はどうしたッ!


涼:(蔡の言葉に、己の事ながら、目を剥く。

    その瞬間に、変化はおきた。
   涼の指先から数センチのところで、小さな銀色の円が広がる。
    そして、それは瞬時に広がり。

    わずかに驚愕の表情を浮かべたイサク、
   いや、闇帝の鼻先で、その驚いた表情を写し取った!)



イサク


蔡:(目の前で起こる事象と、本能が導くひらめきだけをたより
    もっとも良い回答をたたき出す。
   それが自身の真骨頂であることを、持って任じている。

    しかし、それももはや反射に近い勢いである……
   あまりにもめまぐるしく頭脳が回転しすぎて、目の奥から、
    光が飛びそうだ。    

  なんら確信があるわけではない。
   だが、叫んでいる……本能で、叫んでいる)


   左手を……イサクの左手を取れッ!


涼驚き



涼:(何を目的に言われた言葉なのかなど、皆目、わからぬ。
    わからぬが、蔡の言葉には、有無を言わせぬ力があった。

    その指示に従う。
   それ以外の選択肢など思いつかぬといわぬばかりに、
    とびつくように、イサクの手をとった。

   ……瞬間に。
    衝撃が、脳髄を貫く!


   これが……「神の手」であるのか。
    その手の持つ力であるのか。


   体を貫くものは、恐怖さえ伴う、
    ただ、ひたぶるに、使われることだけを望む力の奔流。

   無軌道で。自由な。

    そこには力があるという喜びはなく、何故か、やたらに
   危うすぎる感覚だけが残る……
    まかりまちがえば、命すべてが流れ出してしまうかのような。

   ふと、背筋が寒くなった。
    もしかしたら、イサクらの「神の手」とは、そういう種類の
   ものなのかもしれぬと……

    しかし、そうだするなら。
   神はこの双子に、なんという残酷な「力」を与えたものか……!)


蔡:(涼の様子から、すぐさま、「橋」は成ったと感じた。
    と、同時に、己でさせたことのくせに、涼の体の、
   得体の知れなさを痛感する。

    だが、今はそんなことを考えているときではない。
   闇帝に制されているイサクへ。
    矢継ぎ早に罵るような口調で叫ぶ!)


    女は戻った……!
   酔狂はいい加減にしろ、イサクッ!
    戻りたければ、いま、この瞬間に戻れッ。

    ここで戻らないなら、
   僕はもう、お前のような、傲慢で独善的な男は
    金輪際、助けたりなどするものかッ。

   戻ったその女も僕のものだから、そう思え……ッ!   
   


    
蔡最後の賭け



                      (最終章「新月」へ………!)
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2010年09月12日

目覚めよと我を呼ぶ声あり(2)

閣下:(しばし、蔡の顔を眺めておられたが。

 やがて、ゆっくりと頬を引き上げられ。
  楽しげに笑われた。

  蔡とイサクがかの人を見つめる視線は、緊迫している。
 大風呂敷を広げた蔡ですらも。
  己の言が入れられるかどうかは、まったく予想のつかぬ賭けであるとしか
 言えぬようだ。


  閣下が中空でゆっくりとソファーに腰掛けるようにくつろがれた。
 その前に、古い魔術のように、涼の体が持ち上がる。
  長い髪が床まで垂れ、供物のように見える。

 蔡とイサクの表情がますますこわばった)


  面白い。
 何が面白いといって、学者どの。

  お前が、それらのすべてを、本当にそれと信じて口にしている。

 それが何より私には面白い!

  世界を見たことがないわけではないのだろう?
 井の中の蛙でも、もう少し恥じらいというものを知っていようものだ。

  この娘も言っておったであろう?


  (閣下の唇がゆっくりと開き。

    それとともに、宙に浮かんだ涼が上半身を起こす。
   目を剥いている蔡とイサクの前で、
    しかし、涼と同じ声が漏れたのは、閣下の唇から……!)


 「この世に…………お主の思いとおりになるイノチなど、あるものか!
   お前が思うように動かしておるのではない。
  あちらがお前の思うように添うてくれておるのじゃ。
   そのような了見では、じきに痛い目をみるぞ。

  人の領分のなんたるかも知らぬとみえる。
   己が背丈を悟らぬ、大阿呆め………ッ!」


蔡:(誰よりも自分に打撃を与えられる言葉は何かが、
    自分自身よりも相手に知られていると感じた。

   その証拠に、何か言おうと思うのに、喉の奥が固まったように、
    声が出ない。

   目の前で、涼の体が閣下の膝の上に。その頭が、閣下肩にのり。
    しかし、その顎は無力に天を指している。

   唇を噛む。
    体が動かない……!)


閣下:
(先の蔡の、熱弁の途中から、その隣に佇む少女へ向いていた。
 魂の残渣しか見えない、小さな姿。
 やがて愁うように瞼を伏せ、暫く息切れを聞いているようだった。
 そのまま、宥めるように口を開く)

 人の世に驕るな蔡林仲。

 世界は何も求めない。

 学究する者であるなら、清貧であれ。
  実直な愚者である事こそ、真実への道だ。



 死を悪魔に類するな。
 死は、自らの意志で魂を狩りに向かいはしない。
 訪れ、迎えるものだ。

(しかし、悪戯のように悪意のように、
 にいっと口の端を上げた。)


 この『私』は、そうとは限らんが?



 この、はらわたから脱したいのだろう?
 私がその方策か?
 喚んだ、その意味を知るがいいよ。

(白灰の瞳を開くと僅かに笑み、
 傍観している紫眼と、目を合わせた)

 愚者の王よ、その左眼は何と答える。



イサク:(閣下の突然のご指名に、唇を開こうとする。

     しかし、その瞬間。

      激痛がその左眼から走った。

     思わず声を殺し、目を押さえて、体を折る。
      目が内側から破裂したかと思うような。
     そのまま、目が液体になって、眼孔からあふれ出すかのような……
      耐え難い痛みが続く!

     それでも悲鳴もあげず、膝もつかぬのは、この男の、
      それが矜持であるからか。

     己の目を押さえる手はそのままで、
      地の底から這うような声で、笑った)


      ………他の者の言葉なぞ聞いたところで、
     私に耳を貸す気がなければ、意味もない。

      <愚者の王>と呼ぶのはやめろ。
     そのようなものにかつぎあげられた覚えはないぞ。



(強がりとしか響かぬ言葉が、しかし、次の瞬間には、
      くぐもったうめきに消された。


イサク変化


     不意にその体から黒い瘴気が立ち上り、肩に巻いたファーが、
      一斉に赤黒い羽へと変わってゆく。


闇イサク



     その髪が一気に広がり伸びて、長い、白金の蓬髪となる……!)


闇イサク誕生


閣下:
(何を聞いたのか、
 お前にはやらぬとばかりに、膝に居る体を抱く。
 更に声無き叫びを聞くように黙るがしかし、
 変貌する青年を見る眼は、むしろ強い。)

 私に偽るな。

 矜持を杖に立つと言うのか?
 それはただの傲慢さだ。
 お前が立とうとしているのはまだ、弟と友人の上のように見えるがな。

(ひくい囁きはむしろ、独り言のようだ。)
 

イサク:(熱に冒されたように目の前に紗がかかり、湯舟の中で聞くように音もくぐもっている。

己の体の変化もいまひとつ実感でなければ、闇帝が己に敵対しようとしているのか、味方しようとしているのかもわからない。

ただ、いつもの茫洋を、意地でもの姿勢か貫き、激痛などないかのごとく片頬笑んだ)

私の船で、私の客に勝手に触れるられるのは困るという話だ…その方は、船長直々の客だぞ。

客商売は、信用が売りものだ。


蔡:(絶句した。いま、この状況で、真っ向対立してどうするのだ…!

涼の命を救う気はないのか?)


蔡驚く


閣下:
(言葉を受けてなお、首元に顔を寄せながら、
 酷薄に口許を緩める。)

 ならば私を何故喚んだ?

 その大事な客をこんな姿にし、私のような密航者を許した、
 自らの手落ちを恥じるがいいよ。
 ……いや、船が止まった時点で、信用など地に落ちていよう。船の主。
 今更その身で何を為すというのだ。



イサク:(己の体から己の感覚が浮遊する瞬間があるのに、闇帝が何をしようと
      しているのか、理解した。


     彼が目の前の<死>と対峙するのに手一杯であることを良いことに、
      漁夫の利を得ようとしている……念願の<体>を手に入れようと
     しているのだ。


      その現世への執着に、いっそ、感服に近い思いをも抱きながら。
     だが、構わずに、<死の王>のもとへ歩を進める……!)


悲哀


      私が招いたからには、お前も私の「客」だ。
     そして、別に恥ずほどの無礼は受けてはいないよ。

      船を止めたかったのも、あなたの

     (と、涼を見て、微笑んだ)

      ……希望であったのだから、はからずも、その要望に応えられた
     ことを、私はむしろ、喜ぶべきなのだろうさ。
      まぁ、動いてない船をご所望とは、意表をつく趣向だったが。


     (王の肩に護られた涼。

       その姿を眺め、静かな瞳に、ゆっくりと悲しみが浮かぶ。
      なにがしかの力に拒まれるかも知れぬということも考えず、
       手を伸ばし。

      そのまま触れることができた涼の頬の冷たさに、
       目を細める・・・・・・!

      思わず。
       その本心が溢れ出すように、口をついた・・・・・・!)

      あなたをこのような姿にしたくて、
       私はあなたをあの場所からさらったのではない。

      ただ、あなたをあの場所の頚木から救いたかっただけだ。
       あの国を背負う役目と、自分の兄への罪滅ぼしに似た盲愛。
      その一切から、あなたを解き放つために、極悪人と罵られても、
       あなたをときはなちたかった。

       もっと自由に笑うことを知って欲しかっただけだ。

      私のそばならばそれが叶うはずだった。
       この船を、あなたにも愛してもらえると思っていた。
      時間をかければ・・・・・・・・


      あなたを得れば。
       ようやく、私にも新しい世界が見えると感じた。
      あなたが私を得、私があなたを得ることこそ、
       世界の必然であるとさえ信じていた。


       だが・・・・・だが、その結果がこれならば。
      私はただの花盗人でしかなく。
       花盗人の罪は、盗んだ花が枯れることで罰されるということか?


     あなたはこれで良いのか?すべてを終わりにするのか。

      ・・・・・・ならば。

     私はあらためてこの身捧ごうよ。

      いや、むしろ。
     このような酔狂こそ、もっとも私にふさわしい姿だと、
      きっとあなたも思われるだろう・・・・・・!



      (闇帝が、頭の中で高らかに笑った気がする。

        が。いまは、涼へ呼びかけることしか、考えられぬ。

       その手に触れる冷たさしか、感じられぬ・・・・・・!


        体の感覚を失いかける瞬間。涼の体が、びくりと
       動いたように思ったのは、己の目が見せた最後の幻だったの         か・・・・・・!)



イサク散華




                 (目覚めよと我を呼ぶ声あり(3)へ!)


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